4月22日生まれの偉人 新藤兼人ほか

2018年7月1日

新藤兼人

広島県出身。
1912年~2012年5月29日 享年100歳

日本最高齢の映画監督(2011年現在)
1934年に京都の新興キネマに入社し現像部や美術部に所属し脚本の執筆を始め、その後溝口健二監督に師事します。
第2次世界大戦中の1944年に松竹大船撮影所脚本部に移籍したが、招集され海兵団に入隊しするも、終戦後には脚本家としての道を歩み始めました。
脚本家としての活動も2000年代まで続きます。
一方1950年に松竹を退社した後は、吉村公三郎、殿山泰司らと共に独立プロダクション「近代映画協会」を設立し「愛妻物語」(’51)で監督デビュー。
「裸の島」(’60)「鬼婆」(’64)「本能」(’66)など実験的な作品を手がけ「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(’75)「墨東綺譚」(’92)「午後の遺言状」(’95)といった名作を世に送り出しました。
2002年には文化勲章を授与され、98歳の時、監督作で戦時中の体験を基にした「一枚のハガキ」(’11)を最後に引退を表明しました。
数々の名作を残した新藤兼人氏は2012年5月29日に老衰のため逝去されました。

カテゴリー: 4月生まれの偉人

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