12月3日生まれの偉人 阿部正弘ほか

2018年7月1日

阿部正弘

阿部正弘(1819~1857)は、江戸時代末期の備後福山藩7代目当主で幕府の老中です。
正弘は、前の老中水野忠邦の失脚により、1843年に老中となりました。
老中となってからは、幕政改革を積極的に行います(安政の改革)。理由は、英・米・露などの外国船が日本近海を脅かしていたからです。
1853年にペリーが来航すると、国家の一大事として親藩・譜代・外様の各大名をはじめ、旗本や一般人に意見を求めました。
翌年に再びペリーが来航すると、日米和親条約を締結します。この時正弘は、勝海舟などを「海岸防禦御用掛」に登用し、諮問機関としての役割を持たせていました。
1855年、幕府内で開国派と鎖国派の対立が起こると、正弘は孤立することを恐れて、老中の地位を堀田正睦に譲ります。
また、第14代将軍継承問題の際には、一橋派(一橋慶喜)を支持しました。
1857年、39歳で亡くなりました。

カテゴリー: 12月生まれの偉人

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